『生命式』を読んで考えた『自分のモノサシ』について

読書と戯言

こんにちは

『でまど』です。

先日読んだ

村田沙耶香『生命式』

についてお話していこうと思います。

あらすじ

本来、誰かが死ぬと「葬式」を執り行うが

その代わりに「生命式」と呼ばれる式典を

行うことが当たり前になった世界のお話。

 

「生命式」とは

故人の肉を調理し、参拝者に振舞い

その後、式典に参加した男女が

子孫を残す事だけを目的に相手を探し合い

相手が見つかれば、所かまわず受精を行うという儀式。

 

私はこの作品を読んで

今当たり前に思っている

倫理観やルールって

「本当に正しいの?」

「他人の価値観に流されないか?」

と物事の「本質」や「自分の価値観」に

ついて考えることの大切さを学んだ。

 

 

今の私に当てはめて考えてみる

職場のルールは本当に正しいのか?

私の職場には

仕事のやり方に暗黙のルールが存在する。

それは

1人が大きなプロジェクトの管理を全て請け負い

責任もって最後までやり遂げる。

そんな仕事のやり方。

 

この仕事のやり方は

「デキる先輩社員」達が勝手に作ったもの。

「デキる先輩」達は過去に

そういう仕事のやり方をして成長してきたから

後輩にもおなじ道を歩ませようとする。

また上司も同じ道を歩んできたから

口出しはしない。

むしろ この仕事のやり方を

推奨しているくらい。

 

私もその仕事のやり方が

「普通」だと思って慣れるように努力した。

しかし、大きなプロジェクトを

一人で背負うというプレッシャーに耐え切れず

適応障害でうつ症状を引き起こし、休職した。

休職当時は

私が未熟者で出来損ないだから

その仕事のやり方に適応できなかったと思い

自分の不甲斐なさに落ち込んだりしたが

冷静に考えてみると

「本当にそうなのか?」と思い直した。

 

仕事のやり方も百人十色のやり方があり

その人その人に得意不得意があって

一概に他人が勝手に決めていいものじゃないと思う。

仕事ができる人が言う事は

一見、説得力があり正しいように思えるが

ただ『自分の価値観を他人に押し付けている』

だけなのではないか?

そう思えた。

「自分のモノサシ」

私はたびたび「自分のモノサシ」という言葉を使う。

これは自分の経験から作られた価値観、感受性とか

諸々を総称して用いている便利な言葉。

 

今回、生命式という作品を読んで

自分のモノサシで相手を測っていないか?

自分のモノサシを相手に押し付けていないか?

そもそもモノサシの尺度が間違っていないか?

そうやって常に自問自答して客観視し

「自分のモノサシ」をメンテナンスしていくことが

大切なのではないかと思った。

多様性が重んじられる今の社会で

色んな人たちの考え方や生き方を受け入れていくためにも

多岐にわたって色々な価値観に触れ

「自分のモノサシ」を磨き上げていく

必要があるなと思えた。

 

さいごに

村田沙耶香さんの作品は

どれも読み終わった後に

「考える」という楽しみを味合わせてくれる

素敵な作品ばかりです。

 

例えるなら、、、「するめ」みたいな作品(笑)

自分の中に「消化」するまで

しっかり噛みしめて(考えて)味わう。みたいな。

 

こういった本 好きなんですよね。

 

短編集なので、他の物語についても

またどこかの機会に感想を書きたいと思います。

それではまた。

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